ショートショートフィルムフェスティバル&アジア 2016 オープニングセレモニー
欧米では昔から商業映画として確立されていた短編映画。あのディズニー作品も初期の頃は短編映画が主体でした。しかし、日本では馴染みの薄い映画のジャンルでした。そんな日本に、短編映画の楽しみ方を教えてくれたのがこのショートショートフィルムフェスティバルです。
なぜ GoGetterz がこの映画祭に目をつけたか?
それは、その生い立ち、在り方がとってもゴーゲッターだからです。
ショートショートフィルムフェスティバル&アジアの始まりは、俳優の別所哲也さんのアツい想いでした。
ショートショート実行委員会の運営母体 Pacific Voice の代表が別所哲也さん。別所哲也さんは、英語も堪能。アメリカで短編映画を見る機会があった時に、
「映画は長さじゃない! 数分のビジュアルストーリーでも、そこには無限の映画的宇宙が広がっている!」
と感動したそうです。普通の人ならそこで短編映画ファンになって、ポップコーンをほうばりながら短編映画をかたっぱしから見て満足をするでしょう。しかし、別所哲也さんは違いました。
「この感動を多くの人と共有したい!」
「日本人に短編映画のすばらしさを知ってほしい!」
と新しい映像ジャンルとして「ショートフィルム」を紹介するために短編映画祭を立ち上げることにしたのです。
そうして1999年「アメリカンショートショートフィルムフェスティバル」が開催されました。 初回の映画祭では、映画監督のジョージ・ルーカスの学生時代のショートフィルムを海外で初めて上映することに成功。短編映画の楽しみ方を知らなかった日本人をどんどん惹きつけていきました。
2002年には、全世界を対象にしたショートショートフィルムフェスティバルに拡大。
2004年、東京都共催でアジア監督の作品にフォーカスした ショートショート フィルムフェスティバル アジア をスタート。 そしてこの年、米国アカデミー賞公認映画祭に認定されました。世界には約80ほどのアカデミー公認映画祭がありますが、ショートショート フィルムフェスティバル & アジアはアジア で唯一の認定を受けています。
これがどんなにすごいことかおわかりになりますか?
日本で開催されているこのショートショートフィルムフェスティバルのグランプリ作品が、次年度のアカデミー賞短編部門ノミネート選考に入ることができるようになったのです。日本国内だけを活動拠点に映像を作っていても、日本人が世界で認められ、オスカー像を手にすることができる夢と可能性を与えてくれたのです。映画祭設立時の目的であった「短編映画のすばらしさ」を日本に広めるだけではなく、若手映像作家の登竜門として、彼らが世界へ羽ばたく道をも切り開いてくれたのです。
ショートショートフィルムフェスティバルは回を重ねるごとに活動の場を広げています。
2005年 には、全世界向けとアジア向けの2つの映画祭を同時開催。規模を拡大し、現在のショートショートフィルムフェスティバル & アジアのスタイルになりました。
2008年には、日本初映画祭連動シアター「ブリリア ショートショート シアター」を横浜みなとみらいにオープン。常設の短編映画専門シアターとして日本人が気軽に短編映画を楽しめるようにしてくれました。日本に短編映画カルチャーがどんどん根付いていきました。
2011年東日本大震災後には、 映像の力で日本を元気に!とチャリティショートフィルムの制作、収入の1部を寄付など、映画祭を通じて東日本大震災の復興を応援しました。
常に進化する映画祭。
映像技術の進歩やスマートフォンの普及など時代の変化に対応し、3D部門を開設したり、オンライン映画祭やSNSを起用した一般投票型のコンテストを実施したり、ネットを通したワールドワイドなオンラインイベントも展開してきました。ショートショートフィルムフェスティバル&アジアは、世界でも珍しい、ツアー式の開催運営を実施し、日本各地とシンガポール、ロサンゼルス、シンガポール、メキシコなど海外でも上映され、世界の映像事業者やクリエーターの注目を集める映画祭に成長しました。
日本発、世界が注目する映画祭ということで、東京都や観光庁などと日本を紹介する映像プロジェクトも数多く製作。また、企業がブランディングを目的とした動画映像を製作するようになってきたことから、”Branded Shorts” というジャンルも開拓。ブランディングを目的としたショートムービーの審査も始めています。映画祭開催期間以外でも映像クリエイターのための講演会やワークショップなど学びの場も通年設けられ、活動の幅はどんどん広がっています。
映画祭で「Branded Shorts」を紹介する別所哲也さん。