The Voicers Report は、世界各地で活躍する10人のゴーゲッターで構成された The Voicers が各々の活躍の現場から情報発信をしていきます。 今回は、Mr.and Ms.GoGetterz でもフィーチャーされた、離島育ちの視点から時代を読み込むライター&バー店主の宮国優子さんです。
この写真を見て、みなさんはどう思うだろうか?
私は、とても美しいと思う。だけど、自分がその宮古島を離れて生活するまで、島がそんな美しいところだとは思わなかった。この写真は、友人がSNSを通じて送ってくれた。 色の名前を忘れそうになる美しさ。いや、季節ごとに見せる青と緑のグラデーションは、色の名前をつけるのも不遜なくらい、深く広い。 その場で、深く息を吸うと、まるで自然に包まれて、再生するような気がする。 島の自然と対峙した時、敬虔な気持ちになる。自分の命がここまで脈々と続いてきたことに感謝の気持ちがわいてくる。そして、島を守っている母や友人や島人にも同じように感謝する。それは移住者に対しても同じ。 幼いころ、本土から来た観光客と浜辺でよくお喋りをした。外から来た人たちは、気前よく、外の世界を語ってくれた。 1970年代、私が小学生の頃は、観光客は浜辺でしか会えなかった。その頃、沖縄県自体の観光客数がようやく100万人をこえた頃だ。つい30余年前は「県全体の観光客が、現在の宮古島のみの観光客数と同じ」ということに驚く。 当時の観光調査はネット上には出てこないが、当時は宮古島だけと考えると、3~4万人くらいが観光客ではなかったかと思う。その頃から比べると、20倍の数で、宮古島に人が訪れている。あふれているに近いかもしれない。 1980年代に入ると少し風向きが変わってきた。「離島研究 IV, 第 4 巻」に「1984年に10万人を超えた」とある。1984年(昭和59)といえば東急リゾートホテルが開業した年だ。 観光客と言われる人たちが、市内を歩くようになったけれど、それほど会話をすることもなかったように思う。長期滞在の人は昔からいて、旅好きの農業従事者がいた。彼らは島の暮らしを楽しみながらも、今思えば高度な民俗学などの知識を私のような子どもに話してくれた。 それが今や、今年度は2月末の時点で、観光客は90万人超え。この数年は、宮古島の繁華街を歩いても、地元の人の姿が見当たらない時だってあるほどだ。 [pz-linkcard-auto-replace url="http://www.city.miyakojima.lg.jp/gyosei/toukei/kankouyaku.html"]
「高揚する気持ちはわかるけれど」沖縄県、宮古島の観光の現在。
沖縄県の昨年の観光客数は「初のハワイ超え」と言われるほどの伸び率だ。ハワイの観光客(16年1-12月)は3%増の893万人。沖縄県の観光客は2016年度11%増の877万人。 アジア各国で中間所得層が増えたのが理由だと言われている。行政は、消費意欲の強い観光客や富裕層を取り込むインフラ整備をすすめている。 それにあわせて、民間も負けてはいない。宮古にはドン・キホーテがあり、吉野家があり、ヤマダ電機がある。今、私が住んでいる東京と何も変わらないとすら思う。それどころか、実家からすべて車だと5分以内で行ける。もしかしたら島のほうが便利かもしれない。 こうした経済の波がやってきて、日々加速することを、実感しているのは、この数十年を島で暮らしている島人でしかないと思う。そして、それはさらに加速しそうだ。 三菱地所は昨年10月に宮古島市の下地島空港の旅客ターミナル施設の建設工事に着手した。19年3月開業する予定だ。ここでは格安航空(LCC)はもちろん、プライベートジェットも受け入れる計画もある。 島はこれから「毎日がハレの日、祭り」になっていくように思う。 大きな声で騒いでいる一部の観光客の高揚する気持ちはわかる。インスタ映えがインスタ蝿に思えるけれど。でも、普通に生活している人もいるのだ。その人たちにとってパーティの毎日はつらいと思う。
ビューティーアイコンの苦悩
先の写真戻るが、先日、SNSの友人のタイムラインにヒヤッとするような画像が上がった。冒頭のあの美しい場所の崖から、ぶら下がっている若者がいたのだ。それは、Instagramに投稿してあり、タグで「#高所大好き」というような言葉が書いてあった。 ここでその写真は掲載しない。SNSに流れているということは、もう公ではあるかもしれないが、そういうことをを差し引いても、私は公にそうすべきでないと思うからだ。 その若者がふざけた場所は、知る人ぞ知る島の名所。そこにぶら下がって、友人に見せた。悪ふざけだったのか、自己顕示か定かでない。 でも、この写真には、実はトリックがあって、崖にぶら下がっている写真のように見えて、二メートル下には地面があるそうだ。私は訪れたことがないので、わからない。島の友人が教えてくれた。 最近は、そればかりじゃない。伊良部大橋の道路の真ん中で、寝転んだり、集合写真を撮ったりする人はあとをたたない。それを真似する島の若者たちもいる。
旅の恥はかきすてか?島人のSNSでの逆襲。
そのインスタ映えする画像は、どんどん拡散されていった。そこには、罵詈雑言のコメントが並んでいた。それは、島人だけではなく、移住者や観光客だった人も含まれる。ただ、島人の方言混じりの罵詈雑言は凄みがあった。 その辛辣さは、島では珍しいと思う。島人は、本心をなかなか言わない生活をしている。あからさまな意見や攻撃は、身近だと、身近過ぎて互いに痛いからだ。 友人だと思えば、はっきりと言う人は多いと感じるが、観光客にまで言うことは少ないと思う。数日たてば、観光客は島から出ていくので、後追いすることもない。 共同体で育った島人のメンタリティで「面と向かって間違いを指摘する」「さらしものにする」のは、居心地が悪いのだろう。 かと思えば、島の人は、意外と行政や政治に口を出す。それは自分ごとだからだろう。SNSで拡散しなくても、実際はいろんな意見を持っていて、事あるごとにはっきりと口にする人が多い。それはまさに自治なのだと思う。観光客は、その外にいる。 だが、今回は違った。 確かに、危険極まりないインスタ映え写真に、島人が声をあげない、その投稿に触れないということを通じて、「文句はありません。現状を肯定しています」というメッセージを送っていることになる。 その投稿に注目が集まり、議論が始まったのは、島の未来には有益だと思う。 今回の件では、私は、現状肯定しないという意味では、この友人の拡散に賛成だ。 でも、声をあげることと「こんなヤツは落ちて死ねばいい」と書くことは大きく違う。きちんと本人に抗議しないで、人のあげた写真に悪口を書き込む人は同じ穴のムジナだと思う。なんの問題解決の行動はしていない。 SNSは公的なものだから、訴えられる可能性だってあるということを忘れてはならない。 そのぶら下がりSNS投稿に、島の若者が「やめてください。こんなことするなら来ないでください」というような事を書いていた。攻撃ではなく「ご退場願いたい」と本人に書いていた。その率直さは美点だし、現代的だなと思った。 私は、これだけ騒ぎになったことで、実際にその投稿をした本人の耳に怒りが届けばいいと思う。彼は自分の行動を省みることができる。そして、「その若者は、自分の地元で、危険に見えるようなことを見せびらかしただろうか?」と私たちも考える必要がある。
私たちがここから学ぶこと。
この写真は、私の別の友人がSNSであげた画像だ。野菜を結わえた紐は、雑草。最近は見かけないが、私は子どもの頃によく見た。懐かしさを覚えた。 島の先人たちは「道具は、本質的な役割を担えば良し」とした。 この写真を見て、結えるひもさえ無い貧しい地域だと見るか、合理的な島人の考え方がある地域と見るか、人それぞれだと思う。私は勿論後者だし、こういうものがどんどんなくなっていくのは惜しい。 島独特の合理性が現われていて、それは共同体にも等しく適用される。 今回、問題の写真をSNSで拡散して、友人がSNSに上げた理由は「自分のためだけではない」からだと思う。私は、その写真をSNS掲載した友人に書いた。「あなたは、これが島の人でも同じことをするのか」と。彼は、「するよ」と即答した。責任を取るつもりで書いたのだ。 狭い島の中で、ネガティブな声を上げることにためらいはあると思う。でも、声をあげなければいけない時は、観光客だろうが島の人だろうが、糾弾する。 確かに、こういった場合、我慢する必要はない。 今までの島人が我慢してきたように見て見ぬふりをすると、次の世代も同じ我慢を強いられる。問題の先送りでしかない。そして、その我慢で、島でやりたい放題をするひとに加担していることにもなる。 だからといって、戦うことはない。わたしたちは、同じ場所に住む、同じ場所に心を寄せている。そこに訪れて、島を満喫するひともいる。力を合わせて生き抜くために、智恵を出し合うために出会ったのだ、と思って、まずは直接連絡を取ってもいいと思う。SNSはそういう意味では、簡単になった。 島の人も必要ならば、相手の理由や謝罪やを聞く努力をすべきだし、「なぜ嫌か」と落ち着いて話せばいい。意見が違う相手を「あいつはバカだ」というのは、あまりにも短絡的だ。 わたしたちは、同じ場所に生きる共同体だ。それは、島の出身かそうじゃないかは、関係ない。それは、東京だって同じだと思う。 相手が痛ければ、私も痛い。相手が悲しければ、私も悲しい。非難するのではなく、そんな素朴な島の感情を思い出してほしい。
宮古は、日本の問題を凝縮している。
最近、過度な「日本って素晴らしい」キャンペーンが行われているように思う。今の日本人という肩書に、過剰な付加価値を付けたがるムードに見える。日本文化は先人が素晴らしいのであって、今の日本人に、ましてや個人に結びつくとは思えない。 宮古だって同じだ。私は島にいるときから「宮古サイコー!」と思ってはいなかった。思わないから、島を出たのだ。若い私には、自分の好奇心にそうような学ぶ場所も、仕事もなかった。私は、今も東京に住まわせてもらっているという気持ちのほうが大きい。私は、東京で、島の友人たちのような、たくさんの素晴らしい友人を得た。 だからこそ「日本人は、東京人は」とSNSに書き込む沖縄の人たちに「十把一からげにしないでほしい」と書いてきた。議論になる時は、喜んでつきあった。罵詈雑言で言葉は稚拙でも、掘れば「なるほど」と思うまっとうな意見もあるからだ。SNS上では、言葉として明らかになって周知される。 炎上も何度かしたし、気味の悪いメッセージも届いた。でも、今のところやめる気はなく、それこそその人の言葉で浮き彫りになったほうがいいと思う。事実や一時的感情ではなく、二次的なことを書く人も多い。 例えば二次的な感情で「こんなヤツは島から出て行け」というよりは、島で危険な事をする人には「大事故が起きるので、見ているのも嫌だ」と一次的な気持ちを書けばいい。 そして、今も宮古は美しいと思えども、島に暮らせるかと聞かれると、考え込んでしまう。まだ男女差別的なことは多いし、私はいろいろ発言するので、喧嘩をふっかけられることも多い。 島人の立場で、観光客蔑視な発言や排外主義的な意見を書けば、ある種の島の人からは拍手をもって迎えられるだろうが、それをしたいとは思わない。 「島がすべていい」なんて、幻想だ。ついでに「島の人は優しい」という幻想も。観光客の人が、島の人に少しでも邪険にされると「島らしくない」と怒る場面を何度も見た。最近はネットも多い。でも、それは自分の勝手な島人というくくりで、島の人を見ているからではないだろうか。 どこにだって、優しい人はいる。そうでない人もいる。「島の人がすべて優しい」というのは、短期的なつきあいで、あなたの都合に合っているからに過ぎない。あなたが会った島の人が親切なら、それはその人が優しいのだと思う。